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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)7315号 判決 1981年10月27日

原告

高木洋章

原告

高木和子

右両名訴訟代理人

塩谷順子

国本敏子

外九名

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

古川敞

外二名

被告

徳江幾郎

右両名訴訟代理人

真鍋薫

右訴訟復代理人

伊東眞

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一原告洋章、同和子が夫婦であること、原告和子は昭和五二年一月頃懐妊したが、その出産予定日は同年一〇月二一日であつたこと、原告和子は右予定日を過ぎた同月二三日午前三時二〇分頃被告国の維持管理する厚生省附属の国立病院である本件病院に入院し、同日午前一〇時四〇分頃帝王切開手術を受けたが、胎児は常位胎盤早期剥離が原因で死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二胎児死亡に至つた経緯

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告和子(昭和二四年六月二三日生)は、一五歳頃から通常息苦しさ、目まいなどの症状を徴する自律神経失調症を煩つていて、初めて妊娠した昭和四七年一二月頃その症状が重かつたため人工流産しており、また昭和四九年四月一日に長男洋之を出産したが、微弱陣痛で人工的に陣痛を起したうえの吸引分娩であつた。

2  原告和子は、懐妊に気付いて昭和五二年三月五日本件病院産婦人科外来で受診し、以後出産予定日の同年一〇月二一日まで前後一五回に亘り毎月定期的に、主として婦人科医長である被告徳江の検診を受けた(この点は当事者間に争いがない)。その結果、同年五月二一日から(±)あるいは(+)の蛋白尿が継続的に認められたため塩分制限などの指示がなされ、また同年八月二〇日からは妊娠貧血があつたため増血剤が投与されていた。

しかし、右程度の蛋白尿や貧血は出産の障害となるほどの異常ではないものと診断され、胎児の成長も順調であつた(この点も当事者間に争いがない。)。

なお原告和子は自律神経失調症で懐妊後も引き続き他の病院で治療を受けていたので、受診の際被告徳江に相談したところ、右疾患や投薬は出産に影響しないとのことであり、その後もその治療を続けていた。

3  原告和子は、昭和五二年一〇月二三日午前二時三〇分頃睡眠中性器からお湯のようなものがサアーッと流れ出たことから目が覚め、便所に行つたところ、普通の生理帯二枚でもすぐ通すほどの量の薄いピンク色をした分泌物が出て急な目まいと息苦しさを覚えた。右分泌物の流出はすぐ止つたが、それを脱脂綿と丁字帯で押え、同日午前三時頃本件病院に電話し、右分泌物がかなりの量流出したこと、目まい、息苦しさがあることを話し指示を仰いだところ、当直勤務中の片桐助産婦からすぐ入院するように指示され、その際救急車を利用しないよう注意されたが、深夜で車の手配が出来なかつたため救急車を利用して同日午前三時二五分頃原告洋章も付添い本件病院に入院した(右事実中、片桐助産婦が当直勤務で、原告和子が電話で同助産婦の指示を受け、原告洋章の付添で右時刻に救急車で入院したことは当事者間に争いがない)。

入院時点では目まいや息苦しさは和らぎ、原告和子は助けを借りずに救急車から産婦人科病棟まで歩くことができた。

4  片桐助産婦は、原告和子との電話の応答で破水を疑い入院を指示したので、原告和子が病院到達後直ちに処置室に入れ、下着と当てものの脱脂綿を見て確認したところ、ピンク色をした一〇cm×七cmの羊水の漏出が認められ、破水を確認した。触診したところ、腹緊は認められず、問診に対し時々腹緊があるとのことであつたが、それも陣痛の発来とは未だ認められず、片桐助産婦は前期破水と診断した。また血圧一二六―九〇、児心音は一二、一二、一二(五秒間内の児心音の数を三回計測した数値)で正常であつた。

なお、右診察の際原告和子から腹痛や息苦しさとか目まいがするなどの訴は特になかつた。

そこで、室外で待機していた原告洋章に、破水しているが特に異常のないことを説明し、同原告を帰宅させた。

その直後片桐助産婦は、当直医として本件病院の当直室で就寝していた被告徳江に電話で、高木和子という一回経産の妊婦が今破水で入院したこと、羊水漏出は中等量あるが陣痛はなく、児心音は正常であることなどを報告し、指示を仰いだところ、同被告からビスタマイシン一g筋注を指示され、直ちに注射した(右事実中、被告徳江が当直であつたこと、筋注をしたことは当事者間に争いがない。)。

これは感染予防の措置で、破水して六時間すると胎内の羊水が外界の細菌に汚染される危険があるためなされたものであつた。

5  同日午前三時四〇分頃、それまで休息していた当直助産婦の鈴木が、片桐助産婦から原告和子の経過報告を受けて引き継ぎ、同助産婦も改めて局部に当てた脱脂綿を見て破水により血性分泌物の流出していることを確認し、更に問診、計測により、血圧、児心音、腹緊時々あり未だ陣痛発来のないことなど引き継ぎどおりで浮腫のないことを確認した(右事実中、鈴木助産婦が当直であつたこと、同助産婦が片桐助産婦を引き継いだことは当事者間に争いがない。)。なお同助産婦はそれに前後して外来カルテ問診により、原告和子の外来検診中の前記検診結果や自律神経失調症で治療を受けていることを知つた。

そして同助産婦は、右診察の結果を総合的に判断し、格別異常はないものとしてお産セットを身につけさせるなど分娩や羊水漏出に備える準備を指示しただけでそれ以上の措置をとることなく、その頃原告和子を一般の病室に移し就寝させた。

6  鈴木助産婦は、同日午前五時の定時巡視時間に巡視したところ、原告和子は睡眠中であつた。また同助産婦は、同日午前六時頃には検温の際当てものの脱脂綿を見て羊水漏出量極少量あるが混濁のないことを確認し、更に原告和子を問診し胎動と時々腹緊のあることを確認した。

7  同日午前七時頃、原告和子はお湯のようなものが再び多量に流出したことを感じてブザーを押し、駆けつけた鈴木助産婦に訴えたところ、同助産婦は分娩が進行し血性分泌が多く流出したのではないかと判断し、その流出が止つたことを確認したうえ、原告和子を分娩のための待機室に移した。

同原告は同室の便所に行き、先に出たお湯のようなものがかなり多量の出血であつたことを知り、そのことを鈴木助産婦に告げたところ、同助産婦は原告和子が便所に捨てた脱脂綿は確認しなかつたが、パンツに付着していた鮮血で、原告和子の訴えるような出血であつたことを確認し早期剥離等の異常を一応疑つたもののそれは持続的なものではなく、粘稠性の正常な血性分泌と観察され、また早期剥離で出血が多ければ当然乱れの生ずるはずの児心音も計測したところ、一二、一二、一三と全く正常であつたことから、分娩が進み口が開くに従つて出血が多くなるのが通常であるし溜つていた羊水が多量に混つていたことも考えられたため、原告和子の訴える多量の出血というのは多量の右のような血性分泌の流出と考えられ、そうであれば特に異常というほどのものではないと判断し、格別の措置はとらなかつた。

なお右出血の際にも、原告和子から息苦しさ、目まい、悪心嘔吐、腹痛などの訴は特になかつた。

同原告は、その直後の午前七時過ぎ配膳した朝食をほぼ全量摂取した。

8  同日午前八時から深夜勤と日勤の助産婦交替のため申し送りに入つたが、その前に片桐助産婦が鈴木助産婦の指示で原告和子の様子を見に行き、腹部の触診をして、腹緊はないこと、当てものの脱脂綿に少量の羊水と暗赤色がかつた血性分泌物が3cm×7.8cm位帯状に付着し、児心音は一二、一二、一二と正常であることを確認し、鈴木助産婦に報告した。

9  被告徳江は、原告和子の入院時に前記のとおり報告を受けた以後何の報告も受けなかつたが、婦人科の患者診療後原告和子の入院後の状態等を診るため同日午前九時近く助産婦らが前記申し送りを行つている時に産科病棟に来て、鈴木助産婦から原告和子のカルテ等を示され、未だはつきりした陣痛発来がなく、羊水と血性分泌物が出ているが、格別異常がない旨の報告を受けた。

被告徳江は、原告和子のカルテ等を見たうえ、陣痛の来ていた経産婦を診察した後、原告和子に未だ陣痛発来がないため躊躇したものの、産道や子宮口の状態をみるため内診を行うこととし、同日午前九時二〇分頃、内診台上の原告和子の局部を診たところ、暗赤色のおりものを確認し、前置胎盤を疑つた。内診を行つたところ、児頭は正常位置にあつたが、子宮口は三cm開大(全開大は直径一〇cm)で、余り開いておらず、また子宮口が口唇厚硬で分娩の始まる前と同じような状態であり、子宮口には胎盤のないことが確認された。

その結果胎盤が子宮口を塞ぐ前置胎盤でないことが判明したが、内診時新らたに暗赤色の出血が中等量(二五〇ccないし五〇〇ccをいう。)あり(但し、膿盆で計つた量は一五〇cc)、更に早期胎盤剥離もしくは辺縁洞出血を疑い児心音を聴取したところ九、一〇、九、一〇、一〇、一〇で稍微弱であつた。そして問診によれば腹緊があるとのことであり、触診すると強度の持続した腹緊であることが確認された。

ところで、被告徳江は、胎盤早期剥離の疑を強め、子宮口が三cm開大に過ぎず出血もしていることから経腟分娩は危険と判断し、凝固障害の起きない早期に帝王切開手術をすることを決断し、その準備を指示するとともに、児心音の回復を期待して酸素吸入を行わせた。しかし午前九時二五分児心音の聴取は困難となつた。

同日午前一〇時一五分麻酔をかけ、一〇時三七分から被告徳江の手で腹式深部帝王切開術により手術を施行し、同一〇時四三分胎児娩出したが手遅れで啼泣せず反射もなく死産であつた。胎児は男児で体重三、五六〇gであつた。胎盤は子宮底より三分の一が子宮壁に付着していたが、他は剥離しており、同一〇時四四分胎盤を娩出、凝血塊(〓)が認められ、出血量は二、〇四三ccであつた。同日午前一一時五〇分右手術を終了した(右事実中、原告和子が帝王切開手術を受けたこと、胎児は死産で男子、体重三、五六〇gであつたことは当事者間に争いがない)。

なお被告徳江は、同日午前九時二五分頃電話で問い合わせのあつた原告洋章に胎盤剥離で帝王切開すること、胎児死亡する可能性大であることを説明し手術の承諾を得た。

以上の事実が認められ<る。>

三本件病院の時間外医療体制

<証拠>によれば次の事実が認められ<る。>

昭和五二年一〇月当時の本件病院の産婦人科には、産科に医長以下一名、婦人科には、被告徳江以下一名の医師がおり、夜、日曜等の通常の勤務時間外はそのうち一名が泊り込みで両科の当直勤務についているが、右時間外に分娩患者が来院したときは、正常分娩を自ら介助し、産婦の症状に応じて医師への報告の要否を判断し得るだけの専門的教育訓練を受けている当直の助産婦にまずこれを診察させ、その結果を当直医師に報告させて、異常があれば医師が直ちに診療し、異常所見がなければ適宜指示を与えるのみで助産婦の経過観察と適宜の措置に委ね、もしその後に異常が認められれば直ちに医師に報告させ医師が診療に当るという勤務態勢がとられていた。

なお、当時の産科における深夜勤(午前零時から八時三〇分まで)の当直助産婦は二名であつた。

四常位胎盤早期剥離の診断と医療処置

<証拠>によれば、次の事実が認められ<る。>

1  常位胎盤早期剥離とは、妊娠二〇週から妊娠末期までの間に胎児の娩出に先立つて正常位にある胎盤が完全あるいは不完全に剥離することによつて惹起される症候群を指し、臨床的に無症状の軽度のものから、明らかな早剥の症状を呈する重症のものまであり、その症状は複雑である。

すなわち、軽症では、胎盤剥離面三〇%以下で、臨床的に無症状、児心音良好で娩出胎盤観察によつて始めて確認できる場合と、性器出血中等度(五〇〇cc以下)、軽度子宮緊張感があり、児心音が時に消失し、蛋白尿がまれに認られる場合とがある。中等症となると、剥離面三〇ないし五〇%で強い性器出血(五〇〇cc)と下腹痛を伴う子宮硬直がみられ、蛋白尿ときに出現し、胎児は入院時既に児心音が消失して死亡していることが多い。重症になると、剥離面五〇ないし一〇〇%で子宮内及び性器出血著明で出血が持続し、子宮硬直強く下腹痛があり、内出血のため子宮底上昇し胎児は死亡する。そして右出血に伴つて血圧下降し循環不全による出血性ショックや凝固障害を併発しやすくなり、子宮面血液浸潤し、蛋白尿陽性となる。

なかには軽症や中等症を経ずに急速に重症型に進行する場合もあると成書に記載されているが、発症とともに重症型が出現するわけではなく、以上のような進行過程を経て漸次重症型に移行し、その間かなりの時間を要する。

本症による胎児の死亡率は30ないし93.7%で、重症度が上るに従つて臨床所見は重篤化し、胎児死亡率は極めて高くなる。

本症の発生頻度は0.2ないし0.5%といわれており、また本症の成因として高令、多産、妊娠中毒症、羊水過多症、胎盤異常などが考えられている。

2  臨床症状として、内出血及び外出血のため蒼白、貧血、目まい、失神、腹部緊満、圧痛、仙骨痛、悪心嘔吐、四肢冷感、子宮硬直、血圧低下(上昇する場合もある)、蛋白尿陽性、頻脈、尿量減量、ショック発現、児心音消失もしくは聴取不能、経膣的に非凝固性の持続的出血がみられ、時に凝血塊を混じている場合があり、また胎児及び胎盤娩出とともに大量の凝血塊が排出される。

本症の診断は、急性型、重症型の場合は症状を把握すれば決して難しくないとされているが、中等症例でも胎盤娩出後に診断が確立する場合もある。

また臨床上低置胎盤、前置胎盤、辺縁洞破裂などとの鑑別を必要とする。

胎盤剥離の診断がついたら遂娩を早々に行うべきで分娩第一期で子宮口全開大前であれば帝王切開する以外にないとされている。

3  なお前期破水とは分娩開始(陣痛発来)以前に卵膜が破綻した場合をいい、妊娠末期に前期破水をみたときは、通常破水後二四時間以内に八〇%のものに陣痛発来がある(通常経産の場合一二時以内、初産の場合二四時間以内)。そこで、それに対する処置として産婦を側臥安静にさせて羊水の漏出を防ぎ感染を避けるため特に何らかの処置を必要とする場合以外は内診を控え、感染予防の注射などをし経過をみるのが一般的である。

また羊水は、ほぼ無色透明な液体であるが、破水により子宮口が開大してくるのに伴つて生ずる出血と混じり血性分泌となつて性器外に流出することもめずらしくない。この血性分泌は胎盤剥離の場合と違い持続的なものではなく粘稠性で通常分娩が進むに従つて量が多くなり、色も暗赤色がかつてくるので分娩の進行度を知る一つの手懸りとなつている。

五被告らの責任

判旨1 被告徳江の過失の有無と相当因果関係

(一)  原告和子の入院時以降同日午前九時二〇分まで診察しなかつた点について

本件病院の医療体制は前記三に認定のとおりで、分娩の介助については専門教育を受け所定の資格を有する助産婦の診療看護に委ね、助産婦から異常所見の報告があつた場合には直ちに医師が診療するという態勢をとつていたものであり、このような診療体制に格別問題があるとは解し得ないから、被告徳江は右医療体制を前提として診療を行えば足りるものというべきところ、被告徳江が原告和子の入院直後に片桐助産婦から受けた報告の内容は前二4のとおりであつて、要するに前期破水で入院したというものであり、前期破水は陣痛発来前の破水である点分娩の経過としては本来的でないとはいえ、前記四3のとおり破水後一般的に予測された時間内に陣痛が発来すれば分娩の経過としては格別異常なものではなく、<証拠>によれば、本件病院では、前期破水だけでは異常分娩ないし異常所見として取り扱つていないことが認められ、それが臨床医学の水準からみて妥当でないとの証拠はないから、被告徳江が原告和子の入院時その報告を受け即時診療しなかつたとしても診療義務を怠つた過失があるとして批難することはできず(なお原告和子は救急車で入院しているが、その経過は前記二3のとおりであつて、救急医療を施すべき異常分娩であつたためではない。)、またそれ以後は助産婦から特に報告を受けていないのであるから、同日午前九時二〇分に自らの判断で診察するまでその間全く診療しなかつたとしても、同被告に診療義務を怠つた過失があるということはできない。

そもそも、原告和子の入院の所見は、ピンク色の羊水の漏出が僅かで、腹緊は原告和子が時々あると訴えてはいたが、触診によつては認められず、血圧も一二六―九〇で最低血圧が高くなつている程度であり、その他格別の所見や原告和子からの訴えはなく、児心音も正常であつたのであるから、前記四1、2の早期胎盤剥離の症状等に照らしてみた場合、右早剥が右時点で既に発症していたと認めることは難しく(仮に原告和子に目まい、息苦しさの症状があつたとしても、それは自律神経失調症の症状か貧血気味であつたところに血性分泌をしたためと考える余地があるので、右症状も早剥診断の手懸りになり難い。)、仮に既に発症していたとしても、前記四2に照らすと、急性型、重症型の症状を呈している場合以外早期診断は必ずしも容易でなく、内診すれば容易且つ早期に本症を発見し得ると認めるに足りる証拠もないから、医師がその時に診察していれば果して発見出来たものかどうか極めて疑わしいところであり、医師であれば右診断がついたと認めるに足る証拠はない。従つて、仮に原告和子の入院時被告徳江において直ちに診療し適宜処置すべき義務があつたとしても、同被告の過失責任を問うことはできないというべきである。

なお、原告らは、被告徳江が原告和子の入院時及び午前七時にブザー呼出しをした際、診療しなかつたのは医師法一九条一項の応招義務違反であると主張するけれども、右義務が如何なる意味で過失における注意義務の内容となるか不明な点はさておくとして、そもそも右義務は本来医師の国に対する義務であつて、右条項によつて直接医師が患者に対して右義務を負担するものと解することはできず、また前記のとおり診療義務懈怠が認められない以上右義務違反もないものと解することができるから、いずれにしても右主張は失当であり、採用できない。

(二)  自ら診察しないで筋注を指示したとの点について

原告ら主張のように、被告徳江が片桐助産婦から電話報告を受けただけで筋注を指示することなく、その時点で自ら診療したとしても、胎盤早期剥離を早期に発見できたと認めるに足る確たる証拠がないこと、また同被告としては本件病院の時間外医療体制に従い異常の報告を受けた場合に診療を行えば足りること前記説示のとおりであり、右無診察筋注指示によつて早期胎盤剥離が発症し胎児死亡に至つたわけでもないから、被告徳江にこの点で過失責任があると認めることはできない。

(三)  そうすると、被告徳江には原告ら主張のような過失のあつたことは認められず、仮に過失があつたとしても胎児死亡との間に相当因果関係はないというべきであるから、被告徳江に対する本訴請求は理由がないといわねばならない。

2 鈴木助産婦の過失の有無と相当因果関係

(一) 原告らは、午前七時頃の原告和子の出血の際医師に直ちに報告しなかつたことを問題とするところ、右出血直後の所見では、原告和子から多量の出血があつた旨の訴えがあつたが、それは持続的なものではないうえ、下着に付着した状況から観察し粘稠性の血性分泌と判断され、児心音も一二、一二、一三と全く正常であり、息苦しさ、目まい、悪心嘔吐、腹痛等の訴えも特になかつたのであつて、前記四1、2に照らすと、胎盤早期剥離の症状といえるものが右時点で発現していると認めるのは難しく、加えてこの出血直後原告和子は朝食をほぼ全量摂取していること、同日午前八時頃の児心音も一二、一二、一二で正常であり、腹痛の訴えや異常な腹緊もなかつたことからみると、午前七時頃早期剥離が既に発症していたとするのはいささか疑問である。もつとも手術によつて明らかになつた胎盤剥離面の大きさや本症が発症し重症に至るまでにはかなりの時間経過するのが通常であること、同日午前八時には被告徳江の診察時の出血の色に近いと思われる暗赤色がかかつた出血が認められたことからすると、右午前七時頃の時点で既に本症が発症していた可能性も全く否定することはできないが、前記各所見に照らすと、それだけでは右時点で本症が発症していたと確定的に推認するには十分でなく、他に発症していたと認めるに足りる証拠はない。

しかして、右判断を前提として考えると、鈴木助産婦は、原告和子の出血の訴えで当初早剥等の異常出血を一応疑いながらも、前記四3のとおり分娩の進行により血性分泌の量が多くなるのはめずらしいことではないことから、その後の診察による前記児心音等の各別異常の兆候を示さない各所見を総合し、早剥その他の分娩異常はないものと最終的に判断したものであり、右判断は無理からぬことといわねばならない(なお鈴木助産婦は、外来カルテを見て早剥の原因となるといわれる妊娠中毒症の疑を持つていたように証言するが、それは蛋白尿があるだけでなく浮腫もあつたという誤つた記憶を前提としたものであり、右証言は採用しない。)。

(二) ところで、原告和子の分娩は、鈴木助産婦の考えていたほど進行していなかつたことは前記二9の被告徳江の内診の結果に照らし明らかであり、鈴木助産婦も早期に内診していれば分娩の進行を適確に把握し、午前七時の出血が正常なものか否かより適確な判断ができたのではないかとの疑いがないではないが、前記四3のとおり感染を避けるため何らかの処置を必要とするような症状のある場合以外は内診を控え経過を観察するのが一般的であり、また証人鈴木秀子、同片桐弘子の各証言によると、本件病院では破水後経産婦の場合一二時間、初産婦の場合二四時間以内に通常あるべき陣痛発来のない場合に異常分娩として医師に報告して、適宜の措置を講ずることになつていたことが認められ、右各事実に照らすと、本件において破水後午前七時頃まで内診を控え経過を観察するに止めていたとしても、臨床医学の水準からみて特に不当であつたということはできないから、それを批難しその責に帰せしめるようなことは相当でないというべきである。

(三)  なお原告らは、鈴木助産婦は原告和子が便所に捨てた脱脂綿を見分して出血量、色等を確認し正しい判断をするよう努めるべきであつたと主張するが、右脱脂綿を見分したとしても、それに浸潤した出血量を適確に把握することは難しく、またその見分した出血量だけで直ちに異常と判断できるものでもないから、右脱脂綿を見分しなかつたことをもつて鈴木助産婦の過失とすることもできない。

(四)  そうすると、鈴木助産婦が、原告和子が午前七時頃出血した際、各所見を総合的に判断し分娩異常ではないと判断して当直医師の被告徳江に何ら報告しなかつたとしても、その判断及び措置に責められるべき点はないものというべきである。

そもそも被告徳江が右時点で報告を受け診断すれば、直ちに胎盤早期剥離を発見できたかどうか疑わしく、これを積極に認めるだけの確たる証拠もない。

(五)  以上検討したところによれば結局鈴木助産婦に原告ら主張の過失があるということはできず、仮に過失があつたとしても、それと胎児死亡との間に相当因果は認められないというべきである。

3 被告国の責任

以上説示のとおり、被告徳江及び鈴木助産婦に過失責任が認められない以上、被告国の使用者責任を問えない筋合であるから、被告国に対する本訴請求も理由がないといわねばならない。<以下、省略>

(佐々木寅男)

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